第11回は日本柔道の復活を叶えた、井上康生選手から「指導に対する姿勢」について学びたいと思います。
井上康生選手のプロフィール
生年月日 1978年5月15日
宮崎県宮崎市出身
5歳から柔道を始め、小学校時代から全国優勝の常連として活躍。
96年には全国高校選手権で個人、団体ともに優勝を飾っただけでなく、全日本選手権関東地区予選で優勝し、高校生では21年ぶりとなる全日本選手権に出場を果たします。
2000年のシドニー五輪では当時ライバルとされていた篠原信一選手を破り、金メダルを獲得。
2008年からは現役を引退し、東海大学でコーチ業をスタートさせます。
2012年には全日本男子代表監督に就任、そして2016年に行われたリオデジャネイロ五輪で7階級全てでメダルを獲得、低迷が続いていた男子柔道を復活に導きました。
まず、根性論を捨てる
井上康生が監督になる以前、柔道界では気合い、根性といった精神論が目立ち、午前中は走り込みや寝業、午後は乱取りと単純で画一的な練習を選手に課していました。
首脳陣はケガを抱えた選手にも合宿への参加を強制し、国内大会への出場を義務づけ、選手が拒否すれば「代表選手から外す」というような脅しめいた言葉を投げかけられていたそうです。
金メダル獲得数ゼロとなったロンドン五輪後、新たに監督に就任した井上は次々と改革を断行していきます。
合宿ごとに「技術合宿」「追い込み合宿」などとテーマを絞り、強化の目的をはっきりさせ、担当コーチ制を復活。
オーバーワークを避けるために、初秋に行われる世界選手権に出場した選手には、初冬にある講道館杯の欠場を許可。
結果、選手の所属先とも良好な関係が築け、全日本チームと所属先とが連携した動きが生まれ、さらに外国勢の研究も二人三脚で行うようになっていきます。
ただがむしゃらにやればいい、という訳では無く、適切なトレーニングと休暇をとり、その上で目標を絞り一つ一つを達成していく。
どんな仕事でも、上の立場にある人間というものはこうあるべきですね。
あせりや不安をコントロールする方法を見いだす
ケガなどで十分に稽古できないときこそ、メンタルトレーニングができるチャンスだという井上。
ケガをしたときはどうしても落ち込むし、何をしたらよいのかという不安の心理に駆られ、他の選手が一生懸命稽古をやっているのを見ればあせりの気持ちがわいてきたりもします。
しかし、そうした心理状態のときに、どのように気持ちをコントロールしていけばよいのかを考え、勉強しておけば、試合のときの不安やあせり、落ち込んでしまったときに対応するためのノウハウとして活用することができるということ。
仕事がうまくいかない時こそ、自分を見直すチャンス。
どんな時でもピンチを切り替え、いざという時に備える事が大事です。
日本企業が井上監督の姿勢から学ぶべきこと
多くの企業が日本経済の「失われた20年」とともに苦しんでいるとよく言われますが、結局多くの大企業が苦しんでいるのは、世界の競争ルールが大きく変化しているにもかかわらず、経営陣が高度経済成長期の成功パターンを捨てられず、間違った「伝統」にしがみついているためではないでしょうか。
「伝統」を維持するためには、「伝統」と「革新」が交差していることが重要。
企業も、自分たちの「伝統」を守り続けていきたいのであれば、井上監督と同じように、自らリスクを取ってでも社員たちを信じて「革新」し続けていくことが必須なのではないでしょうか。