真のオーパーツ「ネブラ・ディスク」
2002年にドイツで古代の天文盤とみられるオーパーツが発見された。そのオーパーツは発見された地名にちなんで
「ネブラ・ディスク」と呼ばれるようになった…
研究がされるにつれ、この「ネブラ・ディスク」には驚愕の事実が隠されていることが明らかになっていく…
古代の天文盤 「ネブラ・ディスク」
直径約32cm、重さおよそ2050gの青銅製。円盤の厚さは、中央から外側へとおよそ4.5〜1.5mmへと減少している。現在の状況は緑色の緑青になっているが、元の色は茶色を帯びたナス紺色である。
通称「ネブラ・ディスク」と呼ばれるこの天文盤、
最も特徴的なのは三日月や太陽・星などが描かれている、その表面に施された金の装飾である。
なかでも三日月と、その近くに位置する7つの星の集まりはプレアデス星団を表しており、この2つは太陰暦に起きる季節のずれを解消するために使われていた可能性が高い。
他にも、夏至と冬至の日に太陽が昇る位置や、日没の位置を示す道具として使われていたことが判明する。
この事から「ネブラ・ディスク」は極めて高度な天文ツールであることが分かった。
制作された年代は、鑑定の結果およそ3600年前のものであることがわかっている。定説によれば、ヨーロッパに天文学の知識が伝わったのはそれより1000年も後のことである。
発掘場所
発掘場所はドイツのネブラの町の近くにある、丘。
ここから発掘され他の遺物の年代測定が行われた結果、「ネブラ・ディスク」は紀元前1600年ごろ、すなわち今から3600年前の青銅器時代のものであることが分かった。
また、発掘された場所の近くは、その近くが環状の盛り土になっていることが判明し、
先史時代の祭儀場か古代の天文台であったと考えられる。
「ネブラ・ディスク」の分析結果
「ネブラ・ディスク」が分析されると、実際に遺跡から発見されたものであり、現代ではなく古代に製作された可能性が高いことが分かった。
天文盤と剣、その他の道具類の遺物を化学分析したところ、使用されている銅がすべて同じオーストリア・アルプス産であることも判明した。
また、一緒に見つかった剣のグリップに使われている木材を年代測定したところ、紀元前1600年ごろのものであることも分かっている。
これは
同じ遺跡から見つかった遺物の年代と一致しており、剣と一緒に発見されて銅の産地が同じである天文盤も、その年代に製作されたことを示している。
天文台の装飾に使われている金の産地から、青銅器時代のヨーロッパで開く交易がおこなわれていた事実を裏付けている。
ネブラの位置する当時のドイツ中部は銅や塩の産地だったため、ヨーロッパ経済の中心となっており、交易によってイギリスから錫が持ち込まれたり、フランスからは錫などが持ち込まれたりしていた。
「ネブラ・ディスク」も、こういった
交易によって得られた鉱物資源を使って製作されたと考えられる。
「ネブラ・ディスク」の使用用途とは…
「ネブラ・ディスク」実際の用途は一体どんなものが考えられるのだろうか。最も有力だとされているのは天文盤としての役割である。
青銅製の円盤の上に並ぶ大きな三日月のシンボルとその横の円形のシンボル、そして7つの星の集まりを見ると三日月はその形を詳しく研究すると、新月から4、5日目の形を表していることが判明した。
これにプレアデス星団を組み合わせると、その
天体図が約3年に1度、実際の星空の位置と一致するときがある。
つまり、「ネブラ・ディスク」は実際の季節を同期させるための道具としての役割があったと考えられるわけである。
また、ほかにも用途は考えられている。
天文盤の縁にある金の帯の両端部分は、夏至と冬至における地上戦場の太陽の動きを知るために使われていた可能性も考えられる。
ネブラディスクが埋葬されていた場所は、紀元前1600年ごろには遠くの地平戦がよく見える場所であった。
この場所で天文盤を地平線に向けると、帯の上端が夏至の日の出と日没地点を示し、下端が当時の日の出と日没地点を示す。
このことから「ネブラ・ディスク」は、高度な天文学の知識をもとにして作られていることがよくわかる。
ネブラディスクは真のオーパーツである
以上のことから、「ネブラ・ディスク」は偽物の可能性がほとんどなく、高度な天文ツールであった可能性は極めて高い。青銅器時代の人々が、これほど高度な天文知識を持っていたとは今まで考えられておらず、まさに「場違いな工芸品」である。
「ネブラ・ディスク」は真のオーパーツであると言える。
この遺物は超古代文明人が作ったわけでもなく、ましてや宇宙人が作ったものでもない。
3600年前の人々が星空を眺め、そこに法則を見出し、今季強くたゆまぬ観測を続けた結果作られたものであることには違いない。
「ネブラ・ディスク」は考古学の常識を覆し、科学史をも塗り替えた…