バックパッカーとなり、世界中を旅する…男の夢のひとつですよね。
今ひそかなブームとなり年々注目されている1人旅にお勧めのスポットを紹介していくコラム
『大人の男の一人旅』。
第6回目は、ギリシャ南部ペロポネソス半島沖にある“岩島の要塞都市”
「モネンバシア」を紹介したいと思います。
東西1500m,幅600m,標高199mという巨大な岩は、西暦345年に起きた地震によって陸地から離れて島になったとされています。
◆モネンバシアにある唯一の町
モネンバシアは、半島から眺めると一見巨大な岩でできた無人島のような姿をしています。
しかし、それはまるで地球から月の裏側が見えないように、モネンバシアの町は島の南東側…つまり半島の真逆側に高くそびえる岩陰に隠れながら形成されています。
この町には約1400人程住んでおり、現在は観光地として人気を呼んでいます。
また、町に面した崖を登った少し離れた場所には、ぽつんと1軒の館が。
ここはかつて教会だった建物で、現在は廃墟となっています。
まるで中世ファンタジー世界のようなこの場所は、人気のスポットのひとつにもなっています。
◆モネンバシアの場所や交通手段は?
モネンバシアは首都アテネからは少し離れた、ギリシャ南部ペロポネソス半島沖にあります。
まずは成田空港から乗継便で24時間程度でアテネまで。航空料金は片道で約4〜5万円程です。
アテネからは直通バスで6時間程。バスの運賃は10ユーロ(約1200円)。
週末に1本のみですが直通フェリーもあるようなので、タイミングが合えばこちらを利用するのがいいでしょう。
半島からモネンバシアへは200メートルほどの距離がありますが、971年には本土とモネンバシア島を結ぶ橋が島の西部に完成し、ギリシャ国道86号線が島に開通しました。
この道を渡り、島の海沿いに続く舗装道路を歩いていくと町の入り口にたどり着きます。
◆モネンバシアの特徴や名所
モネンバシアの特徴はこの地形に作られた「城塞都市」の町並み。
町の入口であるこのトンネルをくぐるとそこは、まるで隠れ家のように作られた城塞都市。
長い間この地を守ってきた歴史感じる町並みが広がります。
町の中は、どの道も細く入り組んでいるためまるで迷路。
地図を見ないで歩けば、行き止まりに出くわしたりと迷子になってしまうかもしれません。
車も通ることができないため移動は徒歩、もしくはロバなどになります。
中心は開けた広場なども。
「城塞都市」としての面影も町の要所に見つけることができます。
発見するたびにモネンバシアの歴史を感じ取ることができるでしょう。
町の裏手の岩を削り作られた石造りの町並みと、美しい青い海とのコントラストも必見です。
観光地として生まれ変わったモネンバシアには、路地のあちこちにレストランやカフェが立ち並んでいます。
エーゲ海のシーフードをふんだんに使った料理を楽しむのも旅行の楽しみのひとつです。
◆モネンバシアの歴史
ではなぜモネンバシアの町はこのような場所に作られたのでしょうか。
それは6世紀にペロポネソス半島がスラブ人の侵入を受け、占拠されてしまったからです。
生きるために、逃れてこのモネンバシアに移り住んだのです。そしてこれ以上侵入されないように、立地を利用し町を要塞化します。
そして10世紀まで続いたスラブ人の侵攻を、耐え切ったのです。
1248年には、実に3年の歳月をかけた攻略の末にギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアンが町を占領するも、1262年に開放、東ローマ帝国へと返還されました。
その後、何度もペロポネソス半島が侵攻され占拠されても、モネンバシアはその侵攻を凌いでいます。
1540年以降はオスマン帝国の支配下となり、第一次露土戦争中は重要な商業都市として栄えるも、その後衰退。
1821年のギリシャ独立戦争の際に、オスマン支配から開放されます。
現在は、観光地として栄えていますが先述したようにモネンバシア含むギリシャは周辺民族の侵攻が繰り返されてきました。
ゆえに「ギリシャ人」の定義は曖昧で、その意味は歴史とともに変わってきました。
そんなギリシャ人の歴史は、モネンバシアを軸に巡ってきたと言っても過言ではありません。
◆まとめ
「城塞都市」としてつくられた世界から隠れるようにつくられた町・モネンバシア。
一度町中の細道から見上げた空、風化した石造りの壁や家々から、長きに渡る防衛の歴史を垣間見ることができます。
そしてそんな歴史の中で、逞しく生きる町の人々の活気と料理の美味しさを肌で感じれば、きっと男を一回りも二回りも成長させてくれるのはないでしょうか。