第49回目となる今回は、アニメや実写映画にもなった漫画『寄生獣』の主人公・泉新一から男前を学んでいきたいと思います。
この物語に登場するのは、人体に潜り込み脳味噌を食べて頭部と同化する「寄生生物」。
人の体を乗っ取った寄生生物は、頭部を無数の刃に変形させ、人を切り刻んで捕食します。
最初のうちは本能に任せて手近な人間を食べ漁る寄生生物ですが、騒がれたり駆除されたりするうちに人間の社会を学習し、自分達の「食事」をより安全に行うために人の姿で街中に紛れ込むようになります。
主人公の「泉新一」は、この寄生生物に右腕を乗っ取られてしまった高校生です。
みんな生きてるんだぜ!!おまえらと同じに!!
○オトコマエポイント
新一と恋人の里美は公園デートに来た矢先、砂に埋められたネコに向かって石を投げて遊んでいる子供を目の当たりにして絶句。
公園を後にしようとする里美をよそに、新一はネコを助け出し、少年たちに対して怒りを露わにして上記のセリフを放ちます。
この台詞こそ「寄生獣」全体のテーマを表していて、新一には人間もネコも、寄生生物もすべて「一つの生命体」でしかありません。
同じ生命体同士で優劣なんか無いし、強いことを理由に弱者をいたぶってはいけない。
当然のことではありますが、これこそ「男前」の必須条件であると言えるでしょう。
でもやらなけりゃ…確実なゼロだ!!
○オトコマエポイント
複数の寄生生物を取り込んだ「後藤」と対峙している時のセリフ。
後藤との実力差は圧倒的で、真っ当に戦って勝てる相手ではない。
それでも、今ここで一歩を踏み出さなければ多くの人間が死んでしまうことになります。
このあと新一は知恵を絞り、最後は運にまかせて後藤へと立ち向かい、そして討ち倒します。
本能のままに行動する後藤に対して、非常に人間らしくあれやこれやと考える新一との対比がうまく描かれたシーン。
「勇気」こそが人間の持つ素晴らしさであり、「勇気」を持たなければいくら外見を整えても「男前」になることはできないでしょう。
殺したくないって思う心が……
人間に残された最後の宝じゃないのか
○オトコマエポイント
新一の右手についた寄生生物(ミギー)は以前「わたしの『仲間』はただ食ってるだけだろう……、生物なら当然の行為じゃないか。シンイチにとっては同種が食われるのがそんなにイヤなことなのか?」という会話をします。
新一は命の尊さを説きますが、寄生生物にとって尊いのは自らの命だけである、とその時はそこで会話を終えてしまいました。
そして、前述の後藤を瀕死に追い込み、トドメをさそうとしたときに出たセリフ。
人間の利益のみを優先する傲慢さへの反省から、人間の勝手な都合でトドメをさすことを一旦は思いとどまります。
しかしミギーは、新一という個人には人類の立場も、ましてや地球上の生物全体の立場など、代表する資格なんてないと反論。
ミギーの言葉に気付かされた新一は、自分の身近な人を守りたいと、自らの手で後藤にトドメをさします。
広い視点を持つことも大事ですが、それに引っ張られてしまうのはよくありません。
自分の実力を知り、自分の出来ること、やるべき事を見誤らないのも「男前」の条件と言えるでしょう。
まとめ
1988年から連載された『寄生獣』という作品は、 世間で口うるさく強調されるこうした共生の思想が、人間たちの自己満足のあり方の一部に過ぎないと徹底的に相対化し続けました。
過大な正義を追いかける広川のような理想主義者の生き方も、新一のような一個人としての等身大の生き方も、「自己満足を求める生き方」という意味では何ら変わりはない。
こう描くことで、世間で叫ばれる歯切れの良い正しさに媚びなくても別に後ろめたさを感じる必要はないんだと、読者を勇気づけてくれる作品です。
少しグロテスクな表現はありますが、それを超える面白さがあるので興味のある方は是非読んで、ここで書いた以外の「男前」の精神を見つけ出してみてください。