過去も現在も私たちの暮らしに欠かすことのできない『食』。
長い歴史の中で培われてきた日本の伝統的な食に関わる調理法、思想や習慣は
「和食:日本人の伝統的な食文化」として、2013年に
ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
日本の伝統的な食文化も、長い歴史の中で、諸外国からの料理や素材の流入、新しい調理法や道具の登場により、様々な変化を経ながら成立したものです。
今回はそんな
「食事」から昭和の時代を振り返りましょう。
昭和初期、家庭料理の中にも洋食が少しずつ浸透し始めますが、洋食の普及を牽引していったのは、
外食としての洋食でした。
そして都市化が進む中で大衆食堂を中心に、全国に洋食が普及していき、惣菜としての洋食が盛んになり、コロッケ等、熱いうちに家に持って帰り、食卓に並ぶようになります。
しかし、
戦争が始まると国民の食生活は一変。
アメリカからの食糧の輸入は停止し、凶作も重なったことから食糧問題が深刻化、戦時中は、物資使用制限・配給統制がしかれてしまいます。
終戦直後はそれまであった朝鮮や台湾からの移入米も途絶え、さらには海外から復員軍人や引上者が帰ってきたこととあいまって、
食糧事情は戦時中よりも悪化することになりました。
そんな中、各地で
学校給食が再開されます。
この給食の材料にはアメリカの食糧援助物資が当てられていましたが、表向きの食糧援助・飢餓援助の目的だけでなく、アメリカ国内の余剰小麦の削減による国際市場の低落を防ぐ事、さらには共産主義浸透に対する防壁として農作物を利用する狙いもあったといわれています。
給食開始当時は、副食だけで米は各自持参することになっていましたが、後にパン食を追加。
1954年には、粉食を基本とする学校給食の普及拡大を図ることが法制化され、子供たちから
パン食が食生活の中に定着するようになりました。
食料難を乗り越え、食生活に一定落ち着き、洗濯機、冷蔵庫、テレビといったいわゆる
「三種の神器」がもてはやされるなか、食事の面においても様々な製品が誕生。
1955年に販売された
「自動式電気釜」が登場し、スイッチ一つで炊き上がる炊飯器は台所事情を一変させます。
そしてその3年後に
「チキンラーメン」が発売開始。以降どんどんと新たなインスタント食品が開発されていき、人々の食生活は豊かになっていきました。
豊かさを実現し、飽食の時代と言われた現代。豊かさを享受すると同時に、核家族化から単身者の増加、週休二日制による余暇の増加等、食生活をはじめ人々のライフスタイルが大きく変化した時代でもありました。
様々な種類の料理が巷に溢れ、食事が行えるようになった現代、食生活は乱れ、肥満気味になったり、食品を廃棄することが増えてきています。
今一度、昔を思い出し食生活や生活習慣を見なおしてみてはいかがでしょうか。