若干30歳という若さで、かつてフランクミュラーも所属し、フィリップ・デュフールをはじめ世界的に有名な独立時計師が所属するAHCI(独立時計師アカデミー)において、日本人初の正会員となった菊野昌宏さん。
彼の作った最新作『和時計・改』の価格はなんと
1800万円。それも年に1本のペースでしか制作出来ないそうですが、それでも
数年待ちの注文が続いているそうです。
今回はそんな匠・菊野さんから仕事に対する術を学んでいこうと思います!
菊野さんの時計へのこだわりは、その
徹底した手仕事にあります。
フェイス面のデザイン、小さなムーブメント、微細なネジからバックルの留め具などベルトの革とガラス以外、少なくとも表面に見える範囲は何から何まで
全て手作り。
直径30ミリという小さな世界に新たな「時」を生みだす、若き匠。彼が時計を作るきっかけは何だったのか。その
原点は、高校を出てから入隊した自衛隊だったそうです。
ある時計好きの上官がしていた機械式腕時計を見て少し興味を抱き、時計雑誌を読んだところさまざまな時計の存在を知った菊野さん。
それまでは数千円程度のクオーツ時計をつけており、特にこだわりも無かったそうですがこの日から菊野さんはどんどんと時計の世界にのめり込んでいきます。
「機械の写真をみて、『これは複雑で面白そうだな』と思ったのです。しかも、電池や電気を使わないで、ぜんまいで動いている。こんなアナログなものがまだあるんだ、というのにビックリしたし、それが何百万とか何千万とかするにも関わらず、愛好家が一杯いるというのも『すごいな』と思ったんですよね。こういう世界があるんだ、ということで、時計に興味を持ち、自分でもいくつか時計を買って使いました」
どこの世界でも名をなす人が強い情熱に突き動かされるように、菊野氏も4年間いた自衛隊をやめ、時計の世界に足を踏み入れる事を決意。
感銘を受けた菊野さんは専門誌をむさぼるように読み始め、スイスに独立時計師という職人の団体があることを知り、一路スイスへ。
ここで修理の基本技術を学び、さらに独自の時計制作を進めていきます。
「自衛隊の中で最初に教えてもらったのは、『バカになれ』。それで、すごく楽になったような気がします。楽天的に物事を考えられるようになりました。深く根を詰めすぎない、というか、ネガティブ思考をポジティブ思考に考えられる様になりましたね。」
徹底した手仕事にこだわり抜く菊野さん。機械を使えば自分自身が楽になることも、生産性があがることも十分にわかっていながら、あえて困難な道を選ぶ。もはや
プロダクトではなく、芸術の域といってもおかしくありません。
何より、どこまでもひたむきに理想を追い求める姿勢は、まさに
『バカになれ』の精神を貫いています。
とことんのめり込み、ひたすら根気強く作業に打ち込むには、これくらいの
ぶれない強さとエネルギーが必要なのかもしれません。
そしてそれこそが、菊野氏の成功を支える秘訣なのです。