人物
プロフィール
- 本名:同じ
- 出身地:広島県広島市南区仁保
- 生年月日:1949年09月14日(65歳)
- 身長:180cm
- 血液型:B型
- 職業:ロックミュージシャン "E.YAZAWA"は商標登録済み
経歴
ロックに突き進む人生
- 1968年 高校卒業と同時に5万円を持って広島から上京。
横浜を基点にバンドスタート - 1972年 「キャロル」のリーダーとしてデビュー(バンド期間は2年半)
※約1年の闘病後(輸血の際にC型肝炎ウイルスに感染)、復活 - 1975年 日比谷野外音楽堂にて解散ライブ
(演出のために使用した爆竹が雨で湿って、その火花が舞台セットに燃え移りステージが炎上・多額の借金を抱える) - 1975年 ソロデビュー
- 1977年 日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う。
以降2014年まで日本武道館最多公演記録132回と更新中 - 1978年 資生堂のCMソングの「時間よ止まれ」大ヒット・自署伝「成り上がり」を出版で一大ブーム
- 1980年 NHK教育「若い広場」にテレビ出演
※当時TVに出演しないと言われていた - 1999年映画「お受験」で映画初主演
- 1999年 初のアメリカツアー「Millennium America Tour」敢行
- 2005年 ソロデビュー30周年を迎え、原点回帰すべく毎年恒例の武道館公演を封印しライブハウスツアー「ROOTS」をスタート。
- 2014年 未発売のライヴをDVD化した「TREASURE BOX」を発売。
そして、バンドのメンバーをオーディションで選抜、バンド「Z's」を結成。
作品
代表作・記録
楽曲数約400曲・ライブ総数1800本・総動員数600万オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(51作)を保持
◆代表作(シングルBEST3)
- 時間よ止まれ/1978.3.21
- アリよ、さらば/1994.4.27
- YES MY LOVE/1982.2.20
「ミュージシャンやアーティストがお金の話をするなんて下世話じゃないか」といった世間のタブーを破り「お金、大切だよ、ほしいよ」主張した先駆者
家庭
幼少期
母親が永吉3歳の時、家を出る。小学校2年の時、父親が死亡。幼少期は親戚中をたらい回し。少年時代は極貧生活。
結婚
2度の結婚をしており、前妻は矢沢すみ子さん、現在はマリアさん(米国人とのハーフ)。すみ子さんとは2男・1女、マリアさんとも2男・1女を授かる。
※すみ子さんとの離婚の際の慰謝料は「ポルシェ3台分」と回答。
※マリアさんとの娘である矢沢洋子は歌手をされており、サントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで共演している。
信条
生き方
いま「マイクを握って死にたい」という。9月で65歳になるロック界のレジェンド。名言
- 「言いたいのは、それひとつだよ。その生き方を人のせいにしちゃダメだ。オレも、人のせいにしないから。自分で処理する。」
- 「最近勝ち組とか負け組みとか流行っているけど、スタート切っているかどうかが僕は大事だと思うけどね」
所属事務所の幹部VS矢沢「所詮歌手は人気商売だからいつまでもこの人気が続くとは思うなよ」に対して矢沢は…
「お前らが何ぼ良い高校行って、良い大学出て、何ぼ良い会社に就職して、家庭も何もかんも犠牲にして寝る間も惜しんでガムシャラに働いたところでお前らの一生掛かって稼ぐ金、矢沢の二秒!!」
収入
資産100億円
自社でグッズ通販やコンサート活動を行って利益を上げる“YAZAWAビジネス”に改良を加え、年間10億円以上のペースで資産を増やす。現在は、都内に推定15億円の豪邸を建設中。※1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位
ディナーショー
矢沢永吉がクリスマスにグランドハイアット東京で初のディナーショーを開くことになり、様々な波紋を広げている。料金は6万円で12月24、25日に各440席。※五木ひろしの5万円(東京プリンスホテル)がトップだった。以下、4万8000円が松田聖子、4万5000円が郷ひろみ、谷村新司、4万4000円がさだまさし
成功の秘訣
- 原盤権などの権利(著作権ビジネスの先駆者)
- コンサート時の定番商品の販売
趣味
3億5千万のクルーザー
装備全長70フィート(約21m)
6,000万する1,000馬力のエンジンを3基搭載
最大速度40ノット(70km/h)
ベット付きの部屋が4部屋
レストラン並みのキッチンを完備
各部屋には化粧室付きのトイレを完備
照明や備品もアメリカやヨーロッパから調達予定
現在所有のクルーザー紹介動画:https://www.youtube.com/watch?v=mEX8Ms7p9Yw#t=45
スタジオ
赤坂の一等地に豪華なスタジオビルを所有事件
山中湖の自宅取り壊し
自宅へファンが連日訪れて、妻はノイローゼ・子供は登校拒否。引越し、空き家になると自宅に侵入して悪質行為が乱発、最終的に取り壊しに。
ポルシェ盗難事件
購入してスグ盗難にあったらしいが、保険に入っていたので安心。ソックリさん1億円裁判
2007年ものまねタレントの石山琉大が勝手に「矢沢永吉が唯一認めた」というキャッチコピーを自社のHPに掲載。その後、多方面に借金をし、矢沢事務所にも迷惑をかけ、訴えられる。そこから泥沼裁判へ。2010年矢沢の全面勝訴で終わる。
オーストラリア巨額横領事件
信頼していた腹心(元経理責任者)に騙され、オーストラリアで34億円という巨額の土地取引詐欺にある。何度も挫折しそうになりながら15年ほどで返済。
ジョニー大倉との確執
追悼コメント「非常に残念です。心からお悔やみ申し上げます」「確執も誤解が多かった。価値観の違いは相いれなかったけど、強い友情で結ばれていた」
「ジョニーは矢沢さんのことが大好きなんです」と証言。
功績
ロックのメジャー化の立役者
独立独歩のステータスの確立という点に於いて、矢沢は現在のロック系大衆音楽界ビジネスの開祖的存在。キャロル時代のロックのメジャー化に加え、ソロシンガー・矢沢永吉としての先駆的業績は1977年から1978年にかけてのものが大きい。
ロックミュージシャンとして初の1位獲得はそれまでの日本のロックミュージシャン像を大胆に打ち破ってみせた。当時のロックミュージシャンは「食べられない」「女のヒモ」というイメージであったため、各新聞や雑誌メディアも大きく報道した[71]。矢沢自身「ジャパニーズロックの転機だったんじゃないか」と述べている。
1978年、矢沢の名は全国に広まり、アメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームという夢をキャロルを知らない世代にまで与えた。
海外レコーディングの先駆け
1975年の初ソロ作『I LOVE YOU, OK』からロサンゼルスでの制作を敢行した。アルバム『YAZAWA』では、日本人シンガーとして初めて直接アメリカのレコード会社と契約し、曲作りをすべて現地で行った。
著作権ビジネスの先駆者
矢沢永吉というミュージシャンの独創性は、音楽の内容だけにとどまらない。自ら思い描く音楽活動を実現させるために、著作権などの権利の分野でもイニシアチブを発揮した。矢沢はキャロル解散後に、ビートルズにならって自らの音楽出版社を設立し、レコードやCDの売上にともなって支払われる著作権料のあり方に一石を投じた。
音楽活動にともなう権利について矢沢ほど真剣に取り組んできたミュージシャンはいない。
あらゆる権利を通して収益を得る「360度ビジネス」モデルが主流となっているが、日本に於ける先駆者は矢沢永吉である。
総評
矢沢永吉はまさにロック界のカリスマ
波乱万丈な人生を自力で切り開き成功を導き出したロックのカリスマ。60代半ばになっても衰えることなく信念を貫く生き方は男の憧れ!
矢沢永吉は最高の男前!!
【オトナの趣味道<イラスト編>:似顔絵「矢沢永吉」】