経営者・関口房朗を我々はほとんど知らないのではないだろうか? ニュースとして突然取締役社長を解任(1996年、株式会社メイテック)された、ということを知っているくらいでは。そんな関口氏の経営者としての言葉で最も感銘を受けたのが上記の金言「とにかく細い道を進め!」というセリフ。これはそういう心構えを持てということで、自分だけの道を探せということに繋がる。
誰にも見える進みやすい道は多くの先人たちがすでに通っている。その道において追いつき追い越すことは至難の業である。本当のビジネスチャンスというものは、そんな道にはなくまだ誰にも見えていない、そして進んでいない細い道にこそあるというものだ。決して容易ではないが、そんなオンリーワン的な道の先にこそ、真のチャンスがあるということである。
では実際、関口氏が通ってきた道とはどのような道だったのか?その経歴からひも解いていこう。場所は名古屋になる。幾度かの倒産という失敗を繰り返した後、1974年に「株式会社名古屋技術センター」を設立。そしてある事業形態をひらめく。現在では一般化した『アウトソーシング業』、このビジネス形態を確立させたのが、何を隠そう関口氏なのだという。
仕事帰りにふと見上げると他社のオフィスビルには忙しいのか、まだ煌煌と明かりがついている。その光景を見たときにひらめいたのが、他社に自社の技術、知識を人材として貸し出すというアウトソーシング。ただこのひらめきも相手にまずは話を聞いてもらえなければ意味がない。入り口には新参者には高い壁”関係者以外の立ち入りを禁ず”の文字。ここで第2のひらめきによってこの問題をクリアする。それは現在でいうダイレクト・メール。当時はDMという言葉さえない時代。手紙なら立ち入り禁止の壁を越え相手に届くとひらめいた関口氏。大手メーカーの技術部長を100名リストアップし手紙を出すと、そのうち20社から問い合わせがあったという。ここから会社は好転し、トヨタ、三菱重工業といった大手と契約。そしてボーイング社にも招かれボーイング727、747の設計にも参加。『アウトソーシング』『ダイレクト・メール』という2つのひらめきが、経営者・関口房朗の現在の地盤を築いたといっても過言ではなかろう。
そこで上記の金言である。しかし、ひらめいただけではダメなのである。ひらめいたらそれを実行しなければならない。そのための「常に三年先を見ながら歩く」なのである。先が見えていれば、どのくらいの先行投資がかかるか分かる。先が見えていればどんなことがあっても自分が決めた方針がブレることがなくなる。そして見えているからこそ、地に足のついた経営ができる。というのだ。
では、その”ひらめき”とはどこから生まれるのか?それは決して”第六感”ではないという。また俗にいうカンピューターとも違うという。それは以下のことに気をつければ、誰でも生み出すことのできるものなのだ。
関口氏は言う。そのひらめきを支えるものは「普段からの情報収集と、それを組み上げていく論理展開能力」だと。決して何もないところから生まれるものではない。どん欲な好奇心で得た様々な情報、そしてその情報が”生”あるものに生まれ変わる何かしらのきっかけ。そのきっかけを見逃さない集中力が大事なのだ。少しでも心にひっかかるものがあれば、3分でいいからそれについて考えを巡らせる。そうすることで、貴方にもビッグビジネスへの”ひらめき”を手にすることができるかもしれないと語っている。
見た目からどうしても個性の強い人に思われるのは仕方ないだろう。数々の金言も関口氏だからこそ、実になったと思う方がいてもしようがないことなのかもしれない。だが思い出してほしい。順風満帆の起業家人生だったわけではない。その逆だ。幾度の倒産、そして裏切りを経て現在の関口房朗があるのだ。それは上記の金言の通り、確固たる信念があるからに違いない。我々のような大多数の人間は”真ん中”で妥協して生きている。しかし関口氏のように勝利のみを求める人こそ、果てなき成功へのゴールへと近づいていくのではないか。何度負けてもいい、勝利するまで決して諦めない。勝利するまで前進あるのみ。そう、成功とは成功するまで決して諦めず追い求める人間にだけ見えてくるゴールなのではないか。
〜参考サイト〜
「関口房朗公式サイト」
http://www.sekiguchifusao.com
〜参考文献〜
「バカになるほど成功する!!」関口房朗著/宝島社文庫
「金持学」関口房朗著/宝島社文庫
「赤っ恥学ー目立て!転べ!笑われろ!大富豪への黄金ルール」関口房朗/宝島社文庫